これからの日本を背負い、日本をより良い国にするために、将来の総理大臣にならんとする高い志をもった若者を募集します。
これからの日本を背負い、日本をより良い国にするために、将来の総理大臣にならんとする高い志をもった若者を募集します。
日本や諸外国の社会、政治、経済の現状や文化芸術を学び、さまざまな分野の第一線で活躍する俊英の叡智に触れる貴重な経験の中で、良きリーダーに必要な強くて柔軟な心、鋭い感性、広い視野、深い洞察力をもつ人になるために自らを成長させていく有意義な機会を提供します。
第8期「ながの視察団 AOKI咸臨丸」の募集は終了いたしました。
次回の募集につきましては、本ホームページ上にてお知らせいたします。
「咸臨丸(かんりんまる)」とは、幕末期、黒船の来航に驚いた江戸幕府が、2年後の1855年(安政2年)にオランダに発注して購入した初期軍艦の名前です。木造で3本のマストを持つ蒸気船でした。「咸臨」とは『易経』が由来の言葉で、君臣が互いに親しみ合うことを意味します。
約200年の鎖国後、1858年(安政5年)に横浜沖に停泊中のアメリカ軍艦ポーハタン号上において「日米修好通商条約」が締結されました。2年後、その批准書を交換するために日本からの使節団が、アメリカから迎えに来たポーハタン号に乗船して出発することになりました。幕府は使節の警護という名目でポーハタン号に日本の軍艦を随行させようとし、「咸臨丸」が選ばれました。この「咸臨丸」の軍艦奉行は木村摂津守、艦長は勝海舟、その他福沢諭吉や通訳の中浜万次郎など総勢96名が乗り込みました。
「咸臨丸」は、1860年(安政7年)浦賀を出発し、37日間かけての過酷な航海を乗り切り、太平洋横断を成し遂げ、サンフランシスコに到着。アメリカ合衆国に初めて足を踏み入れた咸臨丸の人々は、近代文明を実際に見聞、体験し、異なる文化を持つ社会に身を置くことになります。その中の多くの方々が、世界を視野に置いた日本の近代国家建設に貢献しました。
この「咸臨丸」は、いわば新しい国造りのための「人材育成の機会」であったということができるでしょう。